第56回
「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ

 IT分野の世界的な見本市の一つとして,ドイツのハノーバで3月に開催されるCeBITがある.EU圏では最大のイベントだ.近くを通ったので,ちょっとのぞいてきた.特に中国,台湾,韓国といったアジア系の中小ITメーカが,部品から完成品に至るまでありとあらゆる製品を紹介しているのに圧倒された.

 とはいえバイヤではない筆者にとっては,今そこで買えるものよりも,「何か新しいコンセプト」や「驚愕するような新技術」に興味が湧く.そこで筆者は,公的研究機関が中心となって展示している“Future Parc”なるパビリオンに足を運んだ.

スマート・ファブリック=電子的な機能を持つ布地

 Future Parcの一角に,場違いなマネキン人形が林立しているスペースがあった.展示テーマは「スマート・ファブリック」,つまり「電子的な機能を持つ布地」である.布素材の最大の特徴は人肌と接して違和感がないということである.つまり,布素材とITの組み合わせは,人が身に付けるITということをアピールしているのである.だからアパレル系の応用となり,デモにはマネキンということになる.

 すでにある似たコンセプトに「ウェアラブル・コンピュータ」がある.こちらはコンピュータを人体装着可能にするという考え方で,行き着くところは同じなのかもしれないが,出発点が前者は布,後者はコンピュータという違いがある.この出発点の違いが,最終的に出来上がるもののイメージを決定的に違ったものにしているように感じた.いわゆるウェアラブル・コンピュータがなんとなく「スタートレック ボイジャー」に登場するボーグのイメージになるのに対し,スマート・ファブリックはよりファッショナブルで違和感がない,つまり形にこだわっている.形はわかった,さて機能は何かである.

布地に何を織り込むか

 布素材のセンサはニュージーランドのZephyr社(http://www.zephyrtech.co.nz/)が開発したもので,布地に体温や脈拍といったデータを取得するためのバイタル・センサが埋め込まれている.人体に常時接触する装置は装着感が微妙なのだが,これは素材が布であるため肌に接しても違和感がないらしい.まずは戦場で兵士の状況をモニタするという軍用システムが大きな需要とのことだ.

 もう少し平和なスマート・ファブリックはないかとマネキンを探すと,オーストラリアのUrban Tool社(http://www.urbantool.com.au/)のGrooveRiderなるTシャツがあった.一見,単にiPodが入るポケットなのだが,ポケットの中にはiPodの接続コネクタがあり,そこから出るイヤホンのラインが首元まで布地の中に織り込まれているのだとか.イヤホンは襟につなぐわけで,わずらわしい長いイヤホン・ケーブルから解放されるということらしい.このシャツはWashable,つまり水洗い可能ということだ.しかし本当に洗ってしまって,コネクタは大丈夫なのだろうか,間違ってiPodを入れたまま洗ってしまわないのだろうか,とか余計なことを考えてしまうのである.

 こんなスマート・ファブリックの中で,筆者が一番気に入ったのは台湾のMOBIS社(http://www.mobis.com.tw/)の布地キーボードである(写真1).これは別の展示ブースにあったもので,一時期はやったフレキシブル・キーボードの布地版である.BluetoothでPDAや携帯電話につないで使うものである.従来のフレキシブル・キーボードはプラスチックの安っぽさがあったが,これは厚手の高級感のある布地というところが気に入って,思わず1台サンプル買いしてしまった.タオルのように隅っこにタブまで付けてファブリックであることを主張しているところが健気である.
写真1 台湾MOBIS社の布地キーボードhttp://www.mobis.com.tw/

怪しげなスマート・ファブリックたち

 先に紹介した3例はその機能にかなり合理性もあり,これから期待できるものだと思う.車でもそうだが,コンセプト・モデルには多少合理性に欠けるのではないかと思われるものもある.例えば,ドイツのSunload社(http://www.sunload.de/)のフレキシブル・ソーラ・パネル組み込みバッグである.アタッシュ・ケースや旅行用バッグの一面を軟素材のソーラ・パネルにして,外を歩いている間に携帯電話やパソコンのバッテリを充電してくれるというものだ.軟素材のソーラ・パネルは以前からあったので,それを合成皮革のように使って違和感なく太陽光発電しようというコンセプトはうまいと思う.問題は効率で,現代人がそういった大きなかばんをもって日中に外を歩く機会はどれだけあるかということである.パソコンを入れるビジネス系のバッグというデザインだからこそ,日中に外に出る可能性は低いと思う.

 最後に,筆者が最後まで機能が分からなかったスーツを紹介しよう.この展示の一角に,どう見てもただの背広にしか見えない展示があった.係の人に,これの機能は何かと聞いたところ,携帯電話の電磁波から身を守るスーツだという.なるほど,素人受けしそうな機能である.意地悪な筆者は,「布地が電波を吸収するのなら,ポケットに入れた携帯電話は着信できなくならないか?」と突っ込みを入れてみた.担当者いわく,「この背広の表地は普通の布で,裏地が電波吸収素材になってます.だから携帯電話をポケットに入れても,着信できます」ときた.恐れ入りました.

やまもと・つよし

北海道大学大学院 情報科学研究科

メディアネットワーク専攻

情報メディア学講座


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コラム目次
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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


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