第20回
シームレスかどうか,それが問題だ

 e-Japan構想注1で,これから日本において超高速ネットワーク社会の構築が確約されたわけだが,そこでどのような価値観が評価されるのか,案外わかっていないのではないかと思う.

 今のところ,高速・大容量がキーワードで,より高品質でリッチなコンテンツが提供されれば,それで消費者は満足すると思われている.本当にそうなのだろうか? どうも筆者には腑に落ちないところがある.今回は,超高速ネットワークを本当に活かせるのは何であるかについて,筆者なりの考察をしてみたい.


注1:e-Japan構想は,本年(2001年)1月に森首相が行った所信表明演説の中で示された国家レベルでのIT投資の実現とディジタルデバイド解消を目的とした国家戦略構想.

シームレスなシステム

 最近,シームレスという言葉が気になっている.すなわち,「seamless――つなぎ目がない,皺がない」という意味で,身近な用例としてはシームレスストッキングなどというものがある.皺ができないから足がすっきりと見えるというわけだが,それがITとどうからんでいるのかが今回の話題である.

 まず,シームレスという思想が滲み出ているシステムには具体的には何があるのか,すでに動いているシステムでその例を探してみよう.

●新宿駅総武線と山手線のホーム
 新宿駅は山手線のホームと総武線のホームが共通になっている.このようにしてあるのは新宿駅の構造上の理由なのかもしれないが,総武線と山手線で同じホームを共有しているおかげで,多くの人にシームレスな乗り換え機能を提供できている.

 この乗り換えというモード切り替えを,徹底的にシームレスにしたのがシンガポールの地下鉄である.この地下鉄は,交差する2路線の乗り換え駅が二つあり,乗り換え方向によって乗り換え駅を選べるのである.客はどちらの方向に行く場合でもホームの向かい側の列車に乗るだけでよい.

● インターネット
 インターネットは,LANとWANを区別しない.OSI階層の第3層から上ではLANもインターネットも同じに見える.もし速度が必要というのであれば,インターネットよりも高速なネットワークは,昔も今も存在する.したがって,速度という要素でインターネットが成功したわけではない.インターネットが成功した秘密は,LANとWANの間におけるシームレスなモードの移動にあるといえる.

WWW
 インターネット上のアプリケーションとして,WWWは何が良かったのだろうか.筆者が考えるに,URLという世界規模のシームレスな情報資源の記述システムのおかげだと思う.ハイパーテキストは昔からあったが,ワンクリックで世界中の情報に繋がる仕掛けは,WWWによって初めて実現された.WWWでは画像が見えるから普及したという人もいるが,WWW以前に使われていたGopherでも,表現は稚拙だったが相当に成功していた.本質に意味があるサービスは,稚拙な段階から普及するものではないだろうか.

●ブラウザ内蔵携帯電話
 iモードに代表されるブラウザフォンの成功も今考えてみると不思議である.当初,技術に詳しい評論家の多くは9.6kbpsパケット通信を使ったiモードには否定的だった.しかし,ビジネスとしては予想をはるかに超えて成功している.

 ブラウザフォンが成功したのは,シームレスな操作感を提供したからだ.ブラウザフォンは家庭,仕事,個人というドメインに違和感なく溶け込んでいることに意味があるのである.iモードではメールに電話番号を書いておくと,受け取った人は番号部分をクリックするだけでシームレスに電話につながるし,URLが書いてあればそのままブラウザモードに移行する.一連の操作が指一本でできてしまう.ブラウザフォンは操作モデルがシームレスなので,知らず知らずに使ってしまうのである.

気分がよいシームレスモデル

 シームレスにはいろいろな解釈があると思うが,筆者はモード間の移動時に発生する違和感を取り去ることがシームレス化なのだと考えている.たとえば,WindowsなどのマルチウィンドウOSでカット&ペーストによりプロセス間のメッセージを伝送するという手段も,ユーザーインターフェースのシームレス化である.また,テレビのリモコンもチャネル切り替えのシームレス化である.

 これらはなくても作業ができない訳ではないが,いったん慣れてしまうと以前の操作に戻れなくなる,それがシームレス感覚だと思う.そう考えると,既存のシステムに存在する不連続点を見つけ,それを取り去る技術開発はかなり大きな需要を掘り起こす可能性がある.そこで,そういう設計思想を「シームレスデザイン」と呼ぶことにしよう.

            *          *

 将来,高度情報通信ネットワーク社会が実現したとして,我々はそこで何を獲得できるのだろうか.映画をネット上で見えるようにするために,月額数千円のコストを永遠に負担してもよいと考えている人はほとんどいないはずである.筆者は,社会のあちこちに存在するぎこちない繋ぎ目,不連続点を解消するために高速ネットワークを使うことに意味があると考えている.

 こちらは映像コンテンツほど派手ではないが,ブロードバンドの隅っこをちょっと使うだけで実現できそうである.

山本 強・北海道大学


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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
第69回 専門分野の第一線で活躍するエンジニア
第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
第67回 シリコンバレーに夫婦で出向(第一部)
第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
第64回 インターネットバブルの前と後の比較
第63回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第四部)
第62回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第三部)
第61回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第二部)
第60回 日本でシリコンバレースタートアップを体験する(第一部)

電脳事情にし・ひがし
第14回 韓国インターネット社会の光と陰

第13回 ドイツのソフトウェア産業とヨーロッパ気質〜優秀なソフトウェア技術者は現代のマイスター
第12回 開発現場から見た,最新ロシアВоронежのソフトウェア開発事情
第11回 新しい組み込みチップはCaliforniaから ―― SuperHやPowerPCは駆逐されるか ――
第10回  昔懐かしい秋葉原の雰囲気 ── 取り壊し予定の台北の電脳街 ──
第9回 あえて台湾で製造するPCサーバ――新漢電脳製青龍刀の切れ味
第8回 日本がだめなら国外があるか――台湾で中小企業を経営する人
第7回 ベトナムとタイのコンピュータ事情
第6回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜インターネット通信〜
第5回 ヨーロッパ/ポルトガルのエンジニア事情〜ポルトガルのプチ秋葉原でハードウェア作り〜
第4回 ヨーロッパ/ポルトガルでのエンジニア事情〜市場と就職編〜
第3回 タイ王国でハードウェア設計・開発会社を立ち上げる
第2回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(下)
第1回 国内外に見る研究学園都市とハイテク産業の集中化…中国編(上)

フリーソフトウェア徹底活用講座
第24回 Intel386およびAMD x86-64オプション
第23回 これまでの補足とIntel386およびAMD x86-64オプション
第22回 静的単一代入形式による最適化
第21回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その9)
第20回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その8)
第19回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その7)
第18回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その6)
第17回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その5)
第16回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その4)
第15回 GCCにおけるマルチスレッドへの対応
第14回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証(その3)
第13回 続々・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第12回 続・GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第11回 GCC2.95から追加変更のあったオプションの補足と検証
第10回 続・C99規格についての説明と検証
第9回 C99規格についての説明と検証
第8回 C言語におけるGCCの拡張機能(3)
第7回 C言語におけるGCCの拡張機能(2)
第6回 GCCのインストールとC言語におけるGCCの拡張機能
第5回 続・C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第4回 C言語をコンパイルする際に指定するオプション
第3回 GCCのC言語最適化以外のオプション
第2回 GCCの最適化オプション ――Cとアセンブラの比較
第1回 GCCの最適化オプション

フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
第70回 OSぼやき放談
第69回 技術者生存戦略
第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
第61回 ドリームウェア
第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


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