第35回

〜アメリカで学ぶ〜


ひょんなきっかけでアメリカの大学へ編入する
……さまざまな出会いを最大限利用する


最近は英語をしゃべるゲストが多かったのですが,久々の日本人ゲストです.さて,知り合いの中では「謎のメキシコ人」と言われるほどアメリカ南西部が長かったとか?(笑)シリコンバレーには最近になって来られたわけですが,アメリカに来られたきっかけから話していただけますか?
アリゾナ州にかれこれ10年くらいいたことになります.大学3年生の夏に,母からアメリカに1か月のホームステイをする話があって,行ってみることにしたのです.ロサンゼルス近郊のアナハイムという場所です.その後のクリスマスも同じホストファミリーと過ごし,もっとアメリカにいたいと思ったのです.そこでお世話になったホストファミリーや知り合った方がいろいろ教えてくれ,翌年4月にはアメリカの大学に行くために日本を発っていました.とんとん拍子に進んだという感じですね.それまで私は英語が得意じゃなかったし,海外旅行さえまったく考えてなくて,ただ2回の渡米とその旅行中に出会った人達の影響でアメリカで過ごしてみたいというモチベーションが急に強くなったのです.目の前のチャンスに飛びついたという感じですね.
まあ,大学生ならそんな感じでしょう.それで語学留学という名目で渡米されたのですよね? それもアラバマ州とか?
そうです.たまたま選んだ所がそうだったのですが,日本人が比較的多かったです.みんなちゃんと調べて,自己資金を最大限に使うため,安い所だけどレベルの高い教育ができているということを知ってそこを選んでいました.そういうことに感化されたのは,結果的に良かったと思いますよ.そこの知り合いがアリゾナ州にいて,アリゾナ州立大学に編入することにしました.日本の大学は休学して渡米していたのですが,学部に入ることが可能だとわかったので,手続きを進めました.幸いにも日本で受けた電気工学部の単位がかなり流用できたので,1年生からでなく,ちゃんと4年生でスタートできました.
アメリカの大学はそういうところを柔軟に対応してくれますよね.また,最初のアメリカ行きからさまざまな出会いがあったようですが,下平さんはとても上手に利用されている気がしますね.
たしかに,いろいろな人との出会いで感化されたりステップアップできていると思います.アリゾナ州立大学では,工学部に入ったときにまた良い出会いがありました.日本人の方なんですが,同じ4年生でした.それまで,この大学では日本人留学生はビジネス系がほとんどで,工学部に入る人はまったくいなかったせいか,私が来たときにはとても喜んでくれて,いろいろ教えてもらいました.また,母からとくに財政面と精神面のサポートをしてもらって,助かりました.
知り合いのネットワークと家族のサポート,とてもたいせつですよね.

今回のゲストのプロフィール


下平 中(しもだいら・あたる)

 1963年生まれ.日本の大学3年修了時点で休学し渡米.その後,アリゾナ州立大学に編入,電子工学修士課程(MSEE)を修了.アリゾナ州テンピ市,VLSI Technologyで設計エンジニアを約6年経験.転職後,日本に帰国,C-Cube Microsystemsでマーケティングマネージャとして約3年勤務後,1999年に再度渡米,GNUProツールなどを扱うCygnus Solutionsに就職.間もなくRed Hatに吸収され,現在は同社事業開発部のディレクタを勤める.いままでの経験を生かした日本やアジア諸国での事業開発に意欲を燃やす.




日米大学の勉強量は?


さて,このコラムを始めた頃,私個人の経験をベースに,アメリカの大学ではすごい勉強をすると書いたのですが,私は日本の大学での経験がありません.一方,下平さんは実際に日米両方で大学生活を送り,またそれが工学系で,私より日米の比較がはっきりできると思います.アメリカの大学の勉強量について説明していただけますか?
トニーさんと同じ公立の大学なので,学生が続々と掃き捨てられていくような厳しさでした.週末に友人とスポーツしたり酒を飲んだりする時間以外は,ほぼ勉強という感じでした.セメスター制という年に2回の学期で,各セメスターに5クラスぐらい取るわけですが,これでしっかり1週間が埋まります.少なくとも毎回のクラスに30〜100ページぐらいしっかり予習しないと授業について行けませんでした.また,Mid-Termと呼ばれる中間テストが数回あり,これを1回でもミスするとそのセメスターはパアになるので,これもしっかり受けなければなりません.

公立の大学は安価なので定員が一杯だし,入りたい人がいっぱいいるのでちょっとでも落ちこぼれると学部を放り出されるし,厳しいですよね.土曜日以外は勉強していたというのは,ネイティブの学生もそうですよ.英語の問題じゃないですね.

私は日本で中学,高校,大学の受験をやりましたが,それと比べるとアメリカの大学での勉強は比較にならないくらいたいへんでした.質/量ともに非常に多く,かなり工夫して勉強しないとついていけませんでした.ただ,工学部の勉強だったので,英語の聞き取りがそれほどできなくても教科書の予習などをしっかりすることで,なんとかついていけました.


勉強と同じぐらい大切な
タイムマネージメント


私がいつも感じていたのは,勉強のやり方のうまさです.時間配分のマネージメントができないと,アメリカの大学では通用しません.ただ,がむしゃらにやればいいとか詰め込めばよいという勉強ではだめですね.普通のアメリカ人の学生なら,1年生から鍛えられているんじゃないでしょうか?

私が大学1年のとき,初めが9月から始まる学期で,年末に終わり,クリスマス・正月休みが終わって寮に戻ったとき,寮の3分の1の学生が脱落して辞めてました.部屋が空いているんです.多分,違う大学に編入したりしたのでしょうが,かなりショックでしたね.

ネイティブの人達は英語ができるから余裕があるのかなぁと思ってましたが,やっぱり彼らでも難しいと感じるのですね.

優秀な人ほど余裕がありますけどね.ご指摘のとおりタイムマネージメントがしっかりしている人が成功しますね.たぶん,こういうことも潜在的にトレーニングされるから,職場で即戦力になるのでしょう.アメリカ人の多くの学生は,私立であれ公立であれ,バイトをする人が多いのですが,州立大学ならもっと凄かったのではないですか?

そうですね,まわりには学費を自分で稼ぎながら学生をしているアメリカ人の同級生が多くいました.彼らはパートタイムだと1日4時間ぐらい,フルタイムだと8時間ぐらいバイトしてますね.だから,お金とか時間とか資源に対してすごく敏感ですね.

それでフルタイムで学生をして卒業してしまう人がたくさんいますからね.どうすれば何の学位と専門知識が身に付き,それでいつ卒業できるか? などを考えて行動してますよね.

自分の行動が何につながるかということに敏感でしたね.1回の中間テストも病気で休んだりはしません.ちょっと熱があったり咳き込んでいても,テストは受けていました.


そのまま修士号を取り,
アメリカで就職する


けっきょく修士号まで取られたのですよね?

4年生を終える頃に,同じ大学なら修士コースにテストなしで入れるということを知り,それじゃ取っちゃえ!という気持ちで学生を続けました.本当は日本に戻る予定だったのですが.修士コースは学士よりかなり余裕があって,授業はあまりない代わりにしっかりと卒論の研究がありました.

専門は半導体でしたよね?
そうです.論文発表は口頭でプレゼンテーションを大勢の教授の前でやります.相当練習したのですが,やはりその日になってたいへんでした.話は前後しますが,大学院にいる間に一般企業でのバイトの話があり,Job Experienceがとても欲しかったので,ほぼ即決でその仕事に応募しました.その仕事とは,VLSI Technologyでの設計エンジニアリングです.ロジックを組んだり,シミュレーションをしたり,ICレイアウトをやったりと半導体設計を一通りやりました.修士号が取れたあとは,VLSI Technologyからフルタイムの仕事の申し出があったので,そこに就職しました.そして,VLSI Technologyには約6年いました.
アメリカで就職するためには実務経験が必須ですよね.VLSI Technologyは偶然にも私が大学を卒業して入った会社です!凄い縁かも?

アリゾナという場所


ちょっと話は変わって,アリゾナ州という場所について話していただけますか? ハイテク系の会社が多い州ですよね.私は仕事で数回行ったのと,グランドキャニオンへ観光で行ったことがあるくらいなのですが…….

アリゾナ州には大型のハイテク系企業がありますね.モトローラの半導体部門の中心地だし,あとはIntel,TRW, Honeywell,GenRadとかがありました.軍事・航空宇宙系の製造会社も多いし,一方でシリコンバレーと比べるとスタートアップがありませんね.そういう意味で,みんな落ち着いて仕事をしている場所だと思います.

生活面ではどうですか? 暑いことで有名ですよね.

たしかに暑いです.車や家にクーラーがないと生活できません.いちばん暑い日がたしか華氏122度,摂氏49度ぐらいですか? 記念にTシャツを売ってましたよ.122度をサバイバルしたとかいうことが書かれたシャツがね.その日は飛行場も閉鎖されました.空気が薄くて飛行機が離陸できない状態になったからだそうです.あと,暑い日に柔らかくなったアスファルトの中に車のタイヤがめり込んでしまうといったことがありますね.でも毎日天気がいいし,気になりませんでした.

人間はどうです?

シリコンバレーと比べると白人達が朗らかだと感じます.シリコンバレーは移民が多いので,白人達が脅威に感じているのではないでしょうか? みんなもっと良いチャンスとかをつねに求めてキョロキョロしている気がします.アリゾナ州はみんな余裕があるのか,優しい感じがしました.

シリコンバレーは人口密度が高いですからね.だから少ないリソースを皆で奪い合うような気がしてくるのでしょうか? それとも,みんなシリコンバレーに出てきて大成しようという気があるよそ者ばかり集まった土地だからでしょうか?(次回に続く)


次回の予告
 設計エンジニアからフィールドエンジニア,また次はマーケティングの仕事に進んでいき,その中でのスキルの移行やアメリカで新人エンジニアがいかに効率よく仕事を進めて行くかなど,働く上でのコツについて,さらに興味深い話が出た.







トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 

copyright 1997-2001 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
第62回  地震をきっかけにリアルタイム・システム再考
第61回  海を渡って卵を産む北京の「海亀族」
第60回  超遠距離通信とソフトウェア無線
第59回  IT先進国フィンランドの計画性
第58回  物理的に正しいITの環境対応
第57回  年金,e-チケットに見るディジタル時代の情報原本
第56回  「着るコンピュータ」から「進化した布地」へ
第55回  技術を楽しむネットの文化
第54回  情報爆発2.0
第53回  プログラミングの現場感覚
第52回  GPS+LBS(Location Based Service)がおもしろい
第51回  技術の格差社会
第50回  フィンランドに見る,高齢化社会を支える技術
第49回  たかが技術倫理,されど技術倫理
第48回  若者の理科離れ,2007年問題から「浮遊」せよ
第47回  機械のためのWWW――Google Maps APIから考える
第46回 網羅と完備で考えるユビキタスの視点 ―― u-Japan構想
第45回 青年よ,ITを志してくれ
第44回 Looking Glassに見るデスクトップの次世代化
第43回 CMSはブログに終わらない
第42回 二つの2010年問題
第41回 持続型技術――サスティナブル・テクノロジ
第40回 ICカード付き携帯電話が作る新しい文化
第39回 ユーザビリティの視点
第38回 性善説と性悪説で考えるRFID
第37回 時代間通信アーキテクチャ
第36回 ITもの作りの原点
第35回 ビットの化石
第34回 ユビキタスなエネルギー
第33回 ロゼッタストーンとWWW
第32回 情報家電のリテラシー
第31回 草の根グリッドの心理学
第30回 自分自身を語るオブジェクト指向「物」
第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
第28回 映画に見る,できそうでできないIT
第27回 ITも歴史を学ぶ時代
第26回 1テラバイトで作る完全なる記憶
第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
第24回 10年後にも生きている技術の法則
第23回 ITなギズモ
第22回 ブロードバンドネットワークに関する三つの質問

Engineering Life in Silicon Valley
第93回 「だれでも参加できるシリコン・バレー」はどうなる
第92回 チャレンジするためにシリコン・バレーへ 対談編
第91回 テクノロジと教育学の融合
第90回 日本でシリコン・バレーを伝える活動
第89回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第二部)
第88回 営業からベンチャ企業設立までの道のり(第一部)
第87回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第三部
第86回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第二部
第85回 エンジニアを相手にビジネスを展開するプロ第一部
第84回 出会いには不向きのシリコンバレー
第83回 めざせIPO!
第82回 シリコンバレーでの人脈作り
第81回 フリー・エンジニアという仕事(第三部)
第80回 フリー・エンジニアという仕事(第二部)
第79回 フリー・エンジニアという仕事(第一部)
第78回 インドに流れ出るシリコンバレーエンジニアの仕事
第77回 エンジニア達の健康管理・健康への努力(第二部)
第76回 エンジニア達の健康管理・なぜエンジニア達は太る?(第一部)
第75回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第二部)
第74回 ユーザーインターフェースのスペシャリスト(第一部)
第73回 放浪の旅を経てエンジニアに……
第72回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第二部)
第71回 凄腕女性エンジニアリングマネージャ(第一部)
第70回 ビジネススキルを修行しながらエンジニアを続ける
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第68回 シリコンバレーに夫婦で出向(第二部)
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第66回 目に見えないシリコンバレーの成功要因
第65回 起業・独立のステップ
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電脳事情にし・ひがし
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フジワラヒロタツの現場検証
第72回 現場検証,最後の挨拶
第71回 マイブーム
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第68回 読書案内(2)
第67回 周期
第66回 歳を重ねるということ
第65回 雑誌いろいろ
第64回 となりの芝生は
第63回 夏休み
第62回 雑用三昧
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第60回 再び人月の神話
第59回 300回目の昔語り
第58回 温泉紀行
第57回 人材ジャンク
第56回 知らない強さ
第55回 プレゼン現場にて


Copyright 1997-2005 CQ Publishing Co.,Ltd.


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