第53回

Engineering Life in Silicon Valley

細かいニーズに対応するツールベンダ

〜対談編〜


仕事の延長線で始めたツール開発

クマールはもともとハードの設計者だったのですが,現在は,自分一人で会社を切り盛りしながらソフトウェアの開発も行っていますよね?
そうです.もともとハード専門で,システムアーキテクチャ,とくに高性能なコンピュータ関係の回路設計が専門でした.インテル時代からメモリまわりの仕事が多く,Silicon Graphicsでもメモリモジュールやサブシステムなどの設計を行いました.ここでは,実際に特許を取得しました.
どんな特許ですか?
1990年代初期の話です.16個から32個のCPUと大容量のメモリを搭載した大型のサーバで,既存の大きさのコンポーネントに,遅延を最小限におさえたモジュールを詰め込むための特許です.たしか8Gバイト入るのですが,当時としては画期的でした.いまではCPUもメモリも桁違いなので全然たいしたことじゃありませんが(笑).
EDAツールの世界は,大学から発生したアルゴリズムやアイデアが商品化されており,この分野のエンジニア達は,その研究をしていた大学からの出身者が多いですよね.
そうですね.大きなEDAベンダに勤めるソフトウェアエンジニア達は,大学で実際にCADのベースとなるアルゴリズムや,実際にそれを可能にする数式・数学を勉強している人が多いですよね.実際に商品化されている製品の源流が同じソフトということも多くあります.
そういう意味では,叩き上げスタイルとでもいうのでしょうか? ハードウェアの設計からツールの開発への移転はどういう感じでしたか?
まず,自分達の設計で使う道具や環境を作ることが多かったので,あまり違和感はありませんでした.実際のプログラミングスキルも,普通にエンジニアをやっていれば問題はないと思います.C++などは,若干ブラッシュアップするために本を読んだり,講習会などへ行くことによっておぎないました.

今回のゲストのプロフィール


 Kumar Venkat(クマール・ベンキャット)
インド出身.

 アメリカの大学院で修士を取ったあと,シリコンバレーに移る.Intel,Sun Microsystems,Silicon Graphicsなどのシリコンバレーを代表する企業でさまざまな設計関係の仕事を経て,1995年に独立し,Surya Technologies,Inc.(http://www.suryatech.com/)を設立する.システムLSI設計に欠かせないタイミング解析や回路階層ツールの開発,それらのツールのコンサルティングを行っている.同社の製品は,AMD,NVIDIAなどの高性能LSI設計に用いられており,日本でも数々の大手半導体ベンダで使われている.



市販ツールのギャップを埋める

1980年代のSun,Silicon Graphicsは,シリコンバレー内でもとても影響力のある会社でした.とくにツール部門がしっかりしていたので,初期のSynopsysやCadenceにとっては,とても大切な存在でした.どうしてでしょうか?
SunもSGIも,自社のCPUを中心にビジネスを展開していたので,CADのニーズは非常に高いものでした.また,当時のEDAベンダ達,SynopsysやCadenceはまだ駆け出しでツールがまだまだ未熟でした.回路図設計から現在のVerilogなどのハードウェア記述言語(HDL)設計へ移転する時期でした.いままで挑戦したことのないサイズやスピードのチップをやっていたわけですから,要求も非常に高いわけです.言い換えると,SynopsysとかSunやSGIに育ててもらったところがあります.

 私の場合は,設計をしながら自分に必要なスクリプトなどを書き,それが少しずつツールの形を成してくるわけです.簡単なことなのですが,たとえばシミュレータからの結果を次に使うツールに自動的にもっていきやすくするために,結果のファイルであるASCIIファイルなどをいじるとか……こういったところからスタートしました.続いて,グループ内のほかのメンバが使えるようにします.とにかく,仕事をスムーズに行うための道具は自分で作ることが多かったのです.結果として,しだいに設計よりもツール寄りの仕事になっていきました.新しいツールが紹介されると,それまで使っていた設計手法をチェックするという仕事も多くなりました.

たしかによくいわれていることですが,EDAのユーザー側で使い方やツールまわりの整備を相当する場合が多いそうです.最近発表されたデータによると,ツールの購入などに使われているコストが1とすると,その使い勝手を向上させるための努力に,社内のリソースの3が使われているという話です.すなわち,1対3の割合で社外と社内のCADコストがかかるそうです.このデータからすると,世界的スケールでいうとEDA業界は,38億ドルとされていますが,本当は100億ドル以上の可能性があるといわれています.
興味深いデータですね! 昔は,その割合というか開きがもっとあったと思います.たとえばIntelの場合,昔から自社ツールを使うことで有名でした.私がいた頃に100万ゲート程度のチップを初めて作っていたのですが,このデバイスは自社ツールがなければ設計が不可能だったと,携わっていたエンジニアが言ってました.しかし,現在ではIntelもかなりの市販ツールを使うようになったそうです.その後のツールを売る側と,ツールを使うほうのニーズのギャップが埋まりつつあるのを示しているかと思います.でも,その一方で,こういうギャップがあるからこそ新しい開発が行われるし,私のような一人でやっている会社が貢献できるチャンスもあるのだと感じています.
日本でも同じですよね.大手半導体メーカーは,以前はメインフレーム上で動くツールを自社で開発して,それを使って設計していました.それもだんだんと市販ツールへ移行していきました.では,今後ツールが進化していった結果,市販のツールとユーザーのニーズとの間にあるギャップは埋まると見ていますか?
まず,実際に私の納品する製品は,多くの場合,非常にニッチなニーズ……場合によっては,一つのアプリケーションにしか使われないツールがほとんどですね.多くの市販ツールメーカーが手を出さない分野です.ですから,市販のツールがすべてのことを解決できるとは思えませんし,エンジニア達が要求する環境も変わるので,市販ツールと,それをカスタム化するニーズはずっとあると見ています.この先も小さな会社が貢献できるチャンスはたくさんあると思います.

インド出身のエンジニアは皆賢いのか?

話は変わりますが,インドの出身のエンジニアってシリコンバレーで多いですよね.どうしてでしょう?
う〜ん,ちょっと誤解があるかと思います(笑)! 一見インド出身のエンジニア達がたくさんいるように見えますが,これは経済的な理由でしょう.まず,アメリカに住んだり,留学するためには,インドの物価からすると相当な資金が必要です.それで皆,猛勉強した人たちがアメリカの大学に奨学金や研究所のアルバイトをしながら学業に励みます.人口の多い国ですから,まずインドでふるいにかけられた人たちがアメリカに来ているわけです.
もともとのマスが大きい中からふるいにかけられた,エリート中のエリートがこちらに来ているという感じでしょうか?
そうですね.まあ,ほかには単純にエンジニアリングに進むインド人が多いということもあるでしょう.アジアには全体的に学歴や高学位を強調する傾向がありますから.中国系の人も似たようなところがあるでしょう?
それはそうですが,ただ,インド系の方々は英語が公用語なので,こちらに来て馴染みやすいのではないでしょうか.

 とにかく初めてシリコンバレーに来た人が気付くことが,インド人や中国系のエンジニアが多いということです.だから白人以外のエンジニアがシリコンバレーを牛耳っているというような「伝説」が生まれるようです.もともと人口の多い国々・人種だからと説明されると,何となく納得できます.

英語のメリットはあるかもしれません.インドで高度な教育を受けるには英語は必須ですから.ただ,先ほどの話は,人数的に多いから目立つだけなのでしょう.牛耳っているとか……という話ではないと思います.

テクノロジで貧富の差を埋められないか?

また,過去数年,インドのエンジニア達のレベルの高さと,コストの安さ……シリコンバレーの3分の1以下……みたいなことが取りざたされていましたが,これをどう見ますか? インドにもシリコンバレーみたいなところができるのでしょうか?
たしかに,かなり高度な教育をうけた労働力があり,英語を使いこなし,さらに人件費も安い……ということはインド国外の企業にとっては,とてもメリットのあることでしょう.

 私の知り合いで,シリコンバレーにオフィスを置いているインドのソフトウェア企業がありますが,彼の仕事はシリコンバレー企業と契約したソフトウェア開発のプロジェクト管理をすることです.部分的にアウトソースしたり,ほとんどの開発をインドで行う企業があります.さらに,ソフトウェアや製品ホットラインサポートといった,ある程度技術力を必要とする仕事もインドへ輸出されている例もあります.まあ,さまざまな感じでインドとアメリカのつながりがあるのは,嬉しいことなのですが,個人的にはもう少しインド主体で開発を行ってほしいですね.

テレビで見たのですが,インドでアメリカのテレマーケティング会社がセンターを設置したそうです.アメリカ人になりきって売り込みを行うらしいですね……英語が堪能な大卒の人にアメリカ英語を細かく教育していくそうです.
う〜ん,私もその番組を見ましたが,あれは明らかに低賃金の部分だけを目当てにしていますよね.教育していることもアメリカ英語や訛りだけで,ほかに利用価値がある内容とは思えないので,感心できません.ディジタルディバイドともいわれていますが,アメリカでもインターネットやハイテクを使える人と使えない人のギャップが注目されてきています.現在のソフトウェア開発の仕事以外でよく考えるのが,自分のビジネスやハイテクノロジの経験を生かして何とかインドに貢献できないか,ということです.いずれインドのような貧富の差が大きい国で,自分に何かできることがないかと考えています.

●対談を終えて

 インタビューは,アメリカ同時多発テロが起こった9月半ばに緊張した雰囲気の中で行われた.技術的な話以外に,インドや中央アジア付近での地域問題,テロ問題などについても興味深い話が出たのだが,エンジニアリングの話ではなかったので残念ながら割愛した.

 最後に,自分の経験で祖国インドで何か貢献したいという気持ちについて熱心に語ってくれた.エンジニアリングも面白いが,もっとそれ以上に何かしたいのだと.



トニー・チン
htchin@attglobal.net
WinHawk
Consulting

 

copyright 1997-2001 H. Tony Chin

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移り気な情報工学 第62回 地震をきっかけにリアルタイム・システム再考

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移り気な情報工学
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第34回 ユビキタスなエネルギー
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第29回 電子キットから始まるエレクトロニクス
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第25回 日本はそんなにIT環境の悪い国なのか
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Engineering Life in Silicon Valley
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